姫路城あれこれ

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「白鷺城」

 大阪城を「錦城」、仙台城は「青葉城」と呼ばれるように、姫路城は「はくろじょう」 とか「しらさぎじょう」などと呼ばれます。
 それは「白漆喰総塗籠造」(しろしっくいそうぬりこめづくり)のこの城を、同じ山陽道にある 岡山城が黒い板張りになっていて「鳥城」「からすじょう」と呼ぶのに対比してだといわれます。
 また、白鷺が飛んでいるように見えるように見えることや、昔から五位鷺(ごいさぎ)が多く すんでいたことによるともいわれます。
 しかし姫路城のある「姫山」を「鷺山」(さぎやま)ともいったことによると考えるのが 適当なのかもしれません。
 いずれにしろ、「しらさぎのしろ」と呼ばないで、漢字的に「はくろじょう」読むのが正しいそうです。

天守の畳

 天守の各階には鴨居や敷居がありまして、保存工事の結果、あるいは一部分かも知れませんが 戸襖(とぶすま)や畳(たたみ)が入れてあったことがわかりました。なお、全部畳を敷けば1215畳だということです。

秀吉が築いた城

 羽柴秀吉が築いた3層の天守が一部でも残っているのではないかと考えられてきましたが、 天守の解体工事で、輝政が今の天守を築くとき取壊したが、大きさは約7m四方、 55uほどの小さなものだったことがわかりました。



(徳川時代末期に製作された『羽柴秀吉公姫路城築城の図』)

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